宗光が仙台を後(1883/1/08)にして東京に戻った。(1/13)この日は親戚知人が家に集まり大祝賀会。
1/31在京和歌山県人会。2/15~家族で横浜・横須賀・金沢へ赴き、神奈川県令時代の知人企画宴会出席。
2/25~10日程、江ノ島で過ごし、一旦帰京。そうこうしている内に4/15に和歌山に向かう。
宗光は和歌山県民の皆さんに熱烈・熱狂で迎えられ、数多の歓迎会が挙行されました。
後、大阪でも同様の集い、又、父親の墓(夕日岡)に赴き出獄の報告、
漸く5/10に神戸を発ち帰京すると云う、嬉しくも忙しい日々の過密日程でした。
一方、宗光入獄中の明治政府の指導者のお一人伊藤博文は内務卿で1879年に琉球王国併合等、
1880年2月内務卿兼任を免じられ参議職で国政担当、1881年10月「明治14年の政変」で大隈重信
を追放、初代参事院議長に就任、翌1882年3月勅命があり憲法調査で渡欧します。
*参事院→内閣制以前の法律規則案の起草や審査等を所管する役所
(「明治14年の政変」は昨年の「福翁自傳 明治十四年の大騒動の件」でご確認下さい。)
この後、博文の独墺で憲法猛勉・学習に勤しむ日程
1882/3/03 明治帝より憲法調査の為、渡欧の勅命が発せられる
(国立国会図書館デジタルコレクション 立憲政体調査ニツキ特派理事欧洲派遣ノ勅)
3/14 伊藤博文ら横浜港を出航
5/02 伊・ナポリに到着
5/16 独・ベルリンに到着
5/25~7/29 法学者アルバルト・モッセの憲法講義を受講
8/08 墺・ウィーンへ移動 法学者ローレンツ・フォン・シャタインと面会
8/28 独皇帝の招きでポツダム離宮へ訪問
8月末 〜 9月上旬 一時的に仏パリへ滞在
9/18~10/31 墺・ウィーンへ戻り、ローレンツ・フォン・シャタインの法律等の講義を受講
11/14 独・ベルリンに戻り、アルバルト・モッセの憲法講義を受講
1883/2/09 アルバルト・モッセの憲法講義を受講終了 ベルリン出発
2月下旬 蘭を経由、ベルギーのブリュッセルに滞在
3/03~5/02 英・ロンドンに約2ヶ月間滞在、英の議会政治や王室のあり方を調査
5/27 仏・パリを経由、露・モスクワへ移動 露皇帝(アレクサンドル3世)の戴冠式参列
6/26 伊・ナポリを出航
8/03 横浜港に帰着
(日程は「明治憲法と日本国憲法に関する基礎的資料」衆議院憲法調査会事務局2003/5 P35)
宗光は世話をかけた博文の帰国を待っていたかのように8月の下旬、彼を訪ねるのです。 続く。
(参考 国立国会図書館デジタルコレクション 陸奥宗光伝 渡辺幾治郎著 P78~)
